ピンチは乗り越えれば
成長の糧になる
不屈の精神で乗り越えて
一歩ずつ進んできた

元プロ野球選手
ドクターエア・
スペシャルアドバイザー

上原 浩治

Koji Uehara

日米通算100勝、100セーブ、100ホールド、史上初の「トリプル100」を達成した上原浩治氏。2019年5月に引退を表明し、21年間の現役生活にピリオドを打ちました。現在はSNSなどを活用して独自の目線から情報を発信し好評を得ています。

プロ野球人生を「雑草魂」でスタートさせ、新人王を獲得するなど華やかな実績を残した裏には、度重なる怪我によるピンチを「不屈の心」で乗り越えた強い精神力がありました。上原氏がその自身との闘いを振り返ります。

学生時代に培われた「雑草魂」が選手生活を支えた

「雑草魂」が培われたのは学生時代ですね。中学には野球部がなくて陸上部に所属しながら地元の野球チームでプレーしていて、高校の時もレギュラーではなかったですし、浪人もしていて、野球で有名な大学を出ているわけでもないです。

ジャイアンツにドラフト1位で指名されたのは素直に嬉しかったですけど、それまでは「おまえ誰やねん?」という感じだったと思います。その中で「誰にも負けたくない!」という気持ちで野球をしてました。

21年間の選手生活を振り返ると「負けず嫌い」の部分がなかったら、間違いなくここまで来れてなかったと思います。野球のエリートに対する反骨心ですね。

そして、「好きな野球を仕事にできる」喜びも大きかったです。野球をしたくてもできない人はたくさんいますし、その喜びが1年でも長く野球をやりたいということにつながっていたと思います。

学生時代に培われた「雑草魂」が選手生活を支えた

怪我は治ればどうにかなる。もう一度階段を登れば力が上がる

現役生活で一番苦しかったのは、メジャー1年目に肘の怪我をした時です。8週間の投球禁止と宣告された時は、ちょっと限界かもと思いました。

診断は腱の部分断裂で、テニスボールを右肘に付けたような感じにまで腫れて、私生活にも影響が出るくらいの怪我でした。本当にボールを投げられない状況でした。

その時は2年契約でボルティモアオリオールズへ行ったばかりだったんですけど、契約途中での解雇もあり得ると思ったほどでした。

でも怪我を理由に野球をやめることは考えなかったですね。「治ればどうにかなる」と思っていましたから。怪我の度合いにもよりますけど、たとえ骨折でも骨がくっつけばまたできる、時間が必ず解決してくれると考えてリハビリ期間は過ごしていました。

そして逆に「また基礎から鍛え直すことができる」と考えました。もう一度階段を一段ずつ登っていけば、「自分はもっと上に行ける」と。

確かに怪我をした瞬間、心は折れます。「またやってしまった」「ここから何カ月かかるんだろう」と思ってしまいます。でも「起こってしまったことは仕方ない」と切り替えて、「そこからどうするのか」という方に気持ちを持っていくことが大事だと前を向きました。

怪我は治ればどうにかなる。もう一度階段を登れば力が上がる

歳を重ねるほどに重要になってくる毎日のトレーニング

若い頃に怪我を繰り返してしまっていて、どうして怪我をするのかを考えていく中で、一気にトレーニングをするよりも、毎日持続してトレーニングした方が怪我しにくいんじゃないかという考えにたどり着きました。

年齢を重ねて行くと特にそうですけど、長いオフなどの休養をあまり取らないで、トレーニングを続けることの大切さを実感するようになりました。

例えばオフの時期、若い時はいくら休んでも動き始めれば身体は動いて、キャンプに間に合うんです。でもベテランになってくるとシーズンが終わって2週間くらい休んで、年内にはもう動けるような身体にすることが必要でした。

地道にトレーニングを毎日やるということにも、年を取れば取るほど重点的に取り組むようになりました。若い時は「今日くらいやらなくていいかな」という軽い気持ちもありましたけど、「やっぱりそれじゃあダメだ」という思いが年々強くなってきましたね。

シーズン中にはまずウォーミングアップを自分で行って、チーム練習ではやらない肩のトレーニングや体幹トレーニングを毎日していました。特にピッチャーの生命線である肩については、必ず先に暖めておく感じでした。

温めるという意味では、振動器具も使っていました。ドクターエアの3Dコンディショニングボールは自分が欲しい場所にピンポイントで振動が来て、気持ちいい感じで使えますし、ストレッチロールSは大きい筋肉をほぐすのに使ってました。ぜんぜん場所を取らないですし、持ち運びも楽なので遠征にも持っていってました。

好きなことを仕事にできる幸せを大切に

現役時代には能力的にも身体的にも、そして精神力でも限界を感じたことはなかったです。もし現役時代に限界を感じていたら、そこから伸びることはないですからね。僕はたとえ大きな怪我をした時でも、これが治れば自分はもっと上に行ける、基礎からまたやり直せるとプラスの考えでいました。

そのためには、怪我した時には治すことに専念することが大事です。無理してプレーを続けてしまって2カ月くらい休まなければならないのと、少し休んで1週間で回復するのとどちらを取るかを考えた方がいい。

いま危ないと思ったら、そこで止める勇気は間違いなく必要だと思います。いざ試合となればアドレナリンが出てしまってブレーキが効かなくなる部分があって、なかなか難しいことで、僕も無理して怪我が長引いたこともありますけど。

スポーツに怪我は付き物ですけど、スポーツを続けているすべての人に言いたいのは、「好きでやっているということを忘れないで欲しい」ということです。好きだからこそ、1年でも長く続けたいと思うでしょう。

プロでスポーツを仕事にしている人は特に、世の中見渡しても本当に一握りしかいないので、そういう幸せを噛み締めながら一年でも長く現役でいて欲しいですね。

上原浩治上原浩治うえはら・こうじ

上原浩治うえはら・こうじ

東海大仰星高校時代は外野手兼控え投手。1年浪人して大阪体育大学に入学し、大学時代は投手に専念し頭角を現す。1998年にドラフト1位で読売ジャイアンツへ。1年目で投手4冠を達成し新人王と沢村賞を受賞。2004年アテネオリンピックで銅メダル。2006年にはWBC日本代表として初代王者に貢献する。2008年11月にFA宣言しメジャー挑戦。ボルティモアオリオールズへ。2011年にテキサスレンジャーズへ移籍しリーグ優勝に貢献する。2013年にはボストンレッドソックスでシーズン途中からクローザーを任され地区優勝。リーグチャンピオンシリーズでMVPを獲得。ワールドシリーズで日本人初の胴上げ投手となる。2016年シカゴカブス、2018年読売ジャイアンツと契約。日米通算100勝、100セーブ、100ホールドを達成。2019年5月20日、現役引退を表明。日米での活躍が認められ、2022年に日本プロ野球名球会入りを果たす。現在はスポーツ解説者として数多くのメディアで活躍中。